塩谷瞬の生い立ちがガチでドン引き…。両親離婚から極貧生活、経営から死闘!?いったい何があった!?

え!?いったい何があったの!?

塩谷瞬(しおやしゅん)さんをご存じでしょうか。2002年に『忍風戦隊ハリケンジャー』のハリケンレッド役でデビューをし、少年やママさんの心をがっちり鷲掴みした塩谷瞬さんを!

 

その他、様々な役を演じてきた花形な塩谷瞬さんですが、その生い立ちがなんともまぁ。ドン引きレベルだったのです。

この記事の概要
  • 両親の離婚について
  • どのくらい極貧生活だったのか
  • 経営者だったの?
  • 死闘って何?

と、文字だけではかなりダークな感じです。ただ調べてみた側からいうと、やっぱりドン引きレベルでした。

塩谷瞬の両親は幼少期に離婚している!

 

この投稿をInstagramで見る

 

塩谷瞬 – shunshioya_official -(@shunshioya_official)がシェアした投稿

さぁ、デビューが戦隊シリーズのリーダー役と、一見きらびやかな印象がある塩谷瞬さんですが、なんと幼少期に両親が離婚しているのです。

 

しかも、塩谷瞬さんは母親の顔を知らないそうです。

え!?そうなの!?

なんと、塩谷瞬さんは母親の顔を覚えていない。そんな記憶も定まらない時期に両親が離婚してしまうという不遇。

 

ちらっと調べたのですが、子供のころの記憶が残っている年齢が平均で3.9歳らしいですね。3歳~4歳くらいですと、幼稚園に入るかどうかくらい。

 

う~~~ん。そんなときからすでに母親という存在を知らないというのは壮絶ですね~~・・・。

塩谷瞬の幼少期の極貧生活が異常すぎだった!

幼少期、母親の顔を知らないで育った塩谷瞬さん。その後は父親と一生懸命過ごして・・・・・・なんてことにはならず。

 

まずは不登校になってしまったそうですね。”学校に行く”という価値観がなかったそうで「なぜ学校に行かないといけないのか」と本当に思っていたそうですね。

お、おう・・・。

しかも、家に帰っても誰もいないしご飯も当然なし。青白い顔をして、よく貧血で倒れたりして、体も細かったし、女の子に間違われることもあったそうなんです。

 

具体的な話では「100円のうどんを3日に1回ぐらいしか食えなかった。」とおっしゃる塩谷さん。なんとも想像したくないけど、イメージできちゃう感じがなんとも壮絶ですね。。。。

100円のうどんを3日に1回ぐらいしか食えなかった

塩谷瞬

あとは、朝起きたら1000円が置いてあったけど、子供にしっかりとお金の管理なんかできるわけもなく、使い方がわからずお菓子に消えてしまった、とか。

 

もう、これを見ると絶望しかないじゃん・・・。とか思ったんです。

もう絶望しかないじゃん。。。

そうなんですよね。これだけだとどうやって生き延びたの!?ってなりますが、塩谷瞬さんの父親が再婚をされ、人並みの生活が何となくできるようになってから余裕が出てきたそうですね。

 

5年生ぐらいから勉強やコミニュケーションが凄く好きになって夏休みに新聞配達のバイトをしたりして生活をしていたようです。

いや~~~、最初はとんでもない感じの幼少期でしたが、なんかちょっと落ち着いてきたじゃないですか。このままかと思いきや・・・!?ということでお次です。

塩谷瞬は中学時代でバーを経営していた!!

塩谷瞬さんは、なんと15歳でバーの経営者として生活をしていたそうです。

マジか!?

何ということでしょう!!15歳で経営者って、すごいですよね!!もちろん、ここでの“すごい”はいろいろと意味が含まれていますよ。

まず、シンプルに若くして経営しているのがすごい!次に15歳で働かないといけない状況がすごい。パッと出てきてこの2つがありますね。

若手敏腕経営者だったとか!?

確かに15歳だと、若すぎる経営者、って肩書にもなりそうですが、そもそもなんで経営していたのでしょうか。

 

ただ、さっきまでの壮絶な小学校時代を考えると、働かないといけない、ってのも頷けるよなぁ・・・、って印象なんです。

 

まあ、2つ併せて経営をしていたんですよね。14歳でバイトとして働き、紆余曲折を経てバーテンダーとして15歳で経営します。

塩谷瞬は15歳で独立したのは死闘の末に!?

“死闘”って何よ!!

塩谷瞬さんは15歳で死闘をしています。これ、なんのこっちゃ?となりますが、これも塩谷瞬さんのドン引きレベルの生い立ちの一つです。

 

塩谷瞬さんが父親との別れとなった時のエピソードです。

――お父さんとはいつぐらいから会ってないですか?

 

塩谷:いつだろう? まあ、15歳ぐらいのときに、最後、ほんとにちょっと死闘があって

 

――……死闘ですか?

 

塩谷:最後、もう家のものをすべて焼き尽くして、やつは俺を殺しかけて逃げていったので。警察が来て、もうそこからは会ってないですよ。まあ、僕も引越しをしたので……。

 

――それ、ほんと文字通りの死闘じゃないですか!

引用:NEWSポストセブン

なんか穏やかでない表現がありましたね。

 

ただこうやって知ると、塩谷瞬さんの幼少期から時間が進んでも根本は変わらなかったんだな、って思ったしだいです。死闘の詳細はリンク先で見れますので、気になる方はご覧ください。

 

と、まあこんな感じで塩谷瞬さんは、若干15歳にして親の力を借りず、一人で生活をしていくわけです。

すごいエピソードだったなぁ

塩谷瞬のデビューはプリクラ!

 

この投稿をInstagramで見る

 

塩谷瞬 – shunshioya_official -(@shunshioya_official)がシェアした投稿

幼少期、母親の顔を知らず、小学校で不登校気味に、そして15歳で経営者になり、父親と独立。という超絶波乱万丈な塩谷瞬さん。

 

これだけの生い立ちを見てきて気になったのが、「一体いつデビューすんだ?」ということ。まったくそんな暇とかなさそうだけど。

どうやってデビューしたんだろう

さて、塩谷瞬さんは冒頭でも書きましたが、忍風戦隊ハリケンジャーでデビューしています。

 

そのきっかけとなったのは、当時おつきあいしていた彼女が応募してくれたプリクラ画像で審査するオーディションだそうです。

 

そのオーディションで7万5千人のうちの2人に選ばれ、事務所の人に「お前、不良なんかやってないで、東京に来て、役者をやれよ」と言われたそうですね。

不良なんかやってないで、東京に来て、役者をやれよ

事務所の人

この言葉に塩谷瞬さんは1か月悩んで、自分の人生を生かす意味でもやり直す意味でも”俳優”という職業が一番面白いと考えて、15歳で地元金沢を出て俳優の道に進んだそうです。

まとめ

いかがでしたか。いや~~~。なんとも壮絶な生い立ちでしたね。幼少期の塩谷瞬さんなんて、今見返してもドン引きレベルです。

塩谷瞬のドン引きレベルの生い立ちまとめ
  • 母親の顔は記憶にない
  • 小学校低学年は不登校
  • 食べ物がなさ過ぎた小学校時代
  • 14歳でバーでバイト
  • 15歳でバーテンダーとしてバー経営者になる
  • プリクラの画像がきっかけで俳優の道に進む

とまあ、こんな感じです。実際に壮絶な人生を歩んできた塩谷進さんですが、相当な苦労をされたことがわかりましたね。

 

またなにか塩谷瞬さんの生い立ちについての情報があったら追記していきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)